蕃山房リポート1

蕃山房リポート

311を忘れない 祈りの集い 2014

 

東日本大震災から三年目を迎えたこの日は、日差しはありながら雪が舞うこともある寒い一日でした。あの日も夕方から雪が降り始めた寒い一日だったことを思い出します。

「3・11を忘れない 祈りの集い」が2014年3月11日午後1時から、曹洞宗大蔵山松源寺(宮城県仙台市青葉区)において行われました。「東日本大震災三周年追善供養」と「『3.11慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』(新曜社)を読む」の二部構成で行われました。50名ほどの参加者を想定していましたが、80名を超える皆様のご参加がありました。

 

東日本大震災三周年追善供養

追善供養は松源寺本堂で行われました。はじめに、参列者の皆様に東海泰典(松源寺第三十五代住職)さんが挨拶しました。東日本大震災の犠牲者と、関連して急逝された方々に対し、一周忌法要、三回忌法要と供養を行ってきたこと。お檀家の方で直接被災し犠牲になられた方はいないけれども、友人知人のご供養ご焼香がかなわない方々のために、そのような場を提供したい思いもあったこと。今年は年会法要の年ではないけれども、犠牲者を悼み、復興のままならぬ遅々とした歩みの中で不便な不安な生活を強いられている皆様に思いをはせ、大震災を忘れない気持ちを強く持ち、大震災から学んだものをもう一度考える機会を持ちたいと思ったこと。このような思いのもとに、三周年追善法要を行うことにした、と催しの趣旨が述べられました。

住職と石塚哲英(埼玉県川越市東光寺住職)さんにより、法要はしめやかに執り行われました。まず、般若心経(般若波羅蜜多心経)があげられました。続いて、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈)が唱えられる中、参列者のご焼香が行われました。こもごも手を合わせる皆様の祈りが本堂に満ちていました。

 

法要が終わり、朗読会の会場に移動しました。予定を上回る参加者でしたので、椅子の手配が間に合わず、お檀家の皆様をはじめ参加者の皆様にも椅子運びをお手伝いいただきました。

 

般若心経(般若波羅蜜多心経):僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれている

観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈):釈尊の悟りそのもの、最高の真理が説かれている。

 

 

『3.11慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』(新曜社)を読む

朗読会は、松源寺永松閣で行われました。朗読は柴山光由(元仙台放送アナウンサー)さん、演奏は西田香(フルート奏者)さんです。この度は、予期せぬ事態がありました。柴山さんが9日にインフルエンザを罹患して、この日は登場できないことになったのです。

ご住職は柴山さんを見舞いました。そして、当日集まってくださる皆様に最善の対応を相談しました。いろいろと案はありましたが、柴山さんの朗読を録画して会場で上映することになりました。39度を超える発熱を圧して約1時間の朗読を行いました。会場で上映された動画を見てわかることですが、この日の為に入念な練習を積んでこられたことが分かります。ご本人もさぞ心残りであったことと思いますし、責任感の強さに頭の下がる思いでした。このような事情を背景として朗読会は始まりました。

ご住職はこの催しの意義を次のように話をしました。3・11は個人的にも公的にも、ダメージと教訓を残したこと。その中でも日常を取り戻すことのできない方々に思いを重ねて、復興の道を歩みたいと思い、心に残るイベントを行いたいと願っていたこと。縁あって『3.11慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』に出会ったこと。この本は被災者本人によって1年を経ないで書かれた、生々しい記録であると同時に、それゆえに第一級の歴史資料であると思ったこと。この本を朗読することで多くの皆様と、3・11を忘れない取り組みを行いたいこと。七回忌まで、この催しを継続したいことなどを述べました。そして当日会場に見えていた、本書の編著者である金菱清(東北学院大学准教授)さんを会場の皆様に紹介しました。さらに、柴山さんがインフルエンザに罹患し本日の登場はかなわないため、朗読の動画を上映するのでご理解をお願いしたい旨を告げ、朗読会が始まりました。

上手に控えていた西田さんがスックと立ち上がりました。静寂の中にフルートの音色が響きます。クロード・ドビュッシーの「シリンクス」です。終始たゆたうように流れ、神秘的で麗しいギリシャ神話の妖精の姿を巧みに表現しているこの曲により、会場は三年前の大震災の時点に誘われていきます。

柴山さんの朗読が始まりました。宮城県南三陸町での大津波体験談である「大津波ババのへそくり泥の中」です。家ごと津波に流され九死に一生を得た前半と、被災した人たちが力を合わせて心を合わせて生き延びようとする避難生活を描いた後半。柴山さんの抑制のきいた朗読が作品世界を活写する様は圧巻でした。夜空を見上げて、亡くなった方々を星になぞらえて詠われる詩の背景に、西田さんのフルートの音色は「アメイジン・グレイス」を奏でます。深い祈りが会場に沁みわたる情景でした。第一話は、「大自然に対する畏敬の念の心、人間のあまりにもおごり高ぶった生活への反省など、心にとどめておきたいと思う」と閉じられました。

西田さんのフルートは、ジュール・マスネの「「タイス」の瞑想曲」を奏でます。第一話の余韻を鎮め、第二話へ導く調べです。

第二話は、福島県大熊町での原発事故の体験談である「生まれた時から原発があった」です。大地震の揺れがおさまり原発のことが頭に浮かぶ。父親は原発で働いている。「最悪の状態を予感していながらも大丈夫かもしれないと思っていた」。数少ない情報の中、その期待は裏切られたことを知り、故郷を離れて逃避行が始まります。町民全員が故郷を離れるという未曾有の体験が述べられる前半。新潟にたどりつき、そこでの生活の様子が語られる後半。連絡の取れなかった父親が顔を見せて安心したこと。事故を起こした原発に働きに出る、疲れ切った父親の後ろ姿を見送ること。原発の町に生まれ育ったからこそ、その功罪に敏感であること。それでも原発事故以降の、原発バッシングの報道や世論には強い違和感を覚えるということ。全編を通じて語り口は静かですが、それがかえって不安と取り返しのつかない状況があぶり出されてくるような不気味さが支配します。「震災が私たちにどのような影響を与えたか、自分にとってどのようなものだったのかなどを言葉で説明するのは、あまりにもいろいろなことがありすぎて、私はいまだに難しいと感じている」と閉じられます。鼻水を啜りながら読み進める、柴山さんの朗読がリアルな印象を残しました。

東海さんが、閉会の挨拶を行い、西田さんの最後の演奏「花は咲く」が始まると、会場から自然に声が起こり、合唱となりました。退場される参加者の多くの皆様からはアンケートにご協力をいただきました。次回の催しの参考となることでしょう。

この催しは、ユーチューブで配信されました。さらに、松源寺のホームページでその動画を楽しむことができることになる予定です。

このようにして第一回目の「3.11を忘れない 心の集い」は終了しました。

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